昭和20年4月26日、今治。

午前9時頃、空襲警報が解除になって人々が一安心したところに米軍のB29爆撃機があらわれ、攻撃をはじめました。

当時「今治明徳高等女学校」の名称で、多くの女子生徒が学んでいた校舎が直撃弾を受け、校舎の西半分が吹き飛ばされ、2階の教室がそのまま階下へ崩れ落ち、一瞬にして学校は修羅場と化したといいます。この爆撃により、玉井高助校長先生以下職員5名、生徒4名が犠牲となりました。

写真は本校の校庭にある慰霊碑です。石に彫られた事実を心に刻み、罹災された方々のご冥福をお祈り致します。

明日は、爆撃を受けたあとの明徳復興について記します。