4月26日の爆撃に続いて、5月8日にも今治は空襲を受けました。

さらに8月5日午後11:50、B29爆撃機による焼夷弾空襲により校舎が全焼してしまいます。深夜の爆撃であったため校内での犠牲者はいませんでしたが、今治では454人の命が失われました。

このような混迷期に校長に就いたのが、山本徳行先生でした。校舎が焼失してしまった中、越智中学校(現在の県立今治南高等学校)の校舎を借りて授業を再開します。そして翌年の10月26日には、第1校舎落成。昭和23年には、「今治明徳高等学校」の設立が認可されました。そしてその後、日本の戦後復興とともに本校も大きく躍進していきます。

世界中がウイルスとの戦いの渦中にある今こそ、先人が復興に奔走された姿に思いを馳せ、私たちがなすべきことを考え、行動したいと思います。

写真は昭和21年3月に撮影されたものです。場所は校舎を借りていた越智中学校。